14年で移設された京王線の廃線を観察 (仙川 - 調布)
こんにちはパンタさんです。
仙川から調布にある廃線跡というと、2012年に地下化された区間を思い出しますが
今回はそれとは別に、開業からわずか14年しか使われなかった京王線の旧線を
観察してみました。
この記事は動画からの一部抜粋になります。
仙川キユーポート近く。
この辺りから京王線(旧線)は、甲州街道を目指すように敷かれていました。
滝坂(売地の坂)。
自転車で降りるとかなりスピードが出るこの急坂ですが、この坂の途中を京王線(旧線)は通っていました。この滝坂(たきざか)を含む坂や鉄道施設を改修する目的で、1913年(大正2年)の開通から1927年(昭和2年)に現在の位置に線路が移されました。
甲州街道。
しばらくは併用軌道、路面電車のような形で京王線は通っていました。今回動画製作にあたり、かつて京王線を走っていた23形電車風のものや線路などをCGで再現して、だいたいこのあたりかな?という場所に設置してみました。動画では実際に車両を動かして、より昔の雰囲気に浸ってみました。
14年で廃止 もう一つの京王線を観察 (仙川 - 調布) - YouTube
旧金子駅付近(推定)。
大体この辺りにつつじヶ丘駅の前身、金子駅があったそうです。現在の駅舎からは徒歩3分、北側に200mほど離れています。駅は道路上にあったためホームは実際にはなく、お客さんは道路から直接電車に乗り込んでいたそうです。
キテラタウン調布。
さてさて、左側に教習所に接続する道路がありますが、この道筋と道幅、そこに京王線(旧線)が通っていました。昔は電車が通って、今は教習車が通る。なんだか不思議ですよね。
旧柴崎駅付近。
佐須街道(深大寺通り)と交差する箇所にあったそうです。意識して歩いても本当にここに駅があったの??という感じですよね。
金広第一コーポの様子。
この辺りは廃線跡といってもほとんど見る影もありませんが、航空写真で見てみると住宅の向きが廃線跡に沿って建てられており、かなり違和感があります。
野川(調布第七中学校)付近。
右側に京王線が通っていたことを語る看板が建てられています。写真には写っていませんが、小さな石碑もそばに置かれています。
調布テニスクラブ付近。
京王線(旧線)は調布第七中学校からテニスコート、農地のあたりを通っていました。
廃線の一部区間は道路になっていて、当時の電車気分を味わうことができます。
旧国領駅。
京王線が通っていたことを知らせる標柱が建てられています。柱には国領駅が一時期、地元の強い要望により北浦駅と呼ばれた経緯や旧線のルート説明がされています。
調布第二コーポラス。
旧線は甲州街道を横切り調布駅へ合流しますが、途中に調布第二コーポラスと駐車場の敷地を斜めに区切った箇所があります。旧線の跡地か、たまたまできたものなのか、よく分からなかったので、国土地理院からこの辺りの1944年の写真をダウンロードして確認してみたところ、やはり関係があったようです。詳しくは動画にてご覧ください。
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医王山 常性寺付近。
境内に玉砂利が敷かれている箇所がありますが、その辺りに旧布田駅はあったそうです。
現在の駅舎からは徒歩3分、北側に150mほど離れています。当時ここを電車が走っていた、
今じゃ考えられないですよね。
現在の地下線の真上。現行線との合流ポイント。
この少し扇形になっている敷地がありますが、これが旧線との合流ポイントになります。現在は線路が地下に移されたため地上部分はアスファルトで覆われています。このスペース、もし活用方法が決まってないなら、今回紹介した旧線について語るようなものを置いてみるのも面白そうですよね。
以上、仙川 - 調布の京王線の旧線について投稿してみました。
動画版ではもう少し詳しく紹介しています。
興味のある方のみ是非ご覧ください!
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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